「きぼうときずな」東日本大震災
石井苗子(いしい・みつこ)
2011年3月11日に勃発した東日本大震災は、多くの医療関係者に対し「何かしなければ」という気持ちを駆り立てました。私もそのひとりでした。でも個人でできることは限られています。
3月25日に、大学院の指導教員から電話が入りました。ご自身の故郷が福島県なので現地支援のためにまず視察したい、そのための車の運転のご依頼でした。すぐに引き受け、数人で被災地に向かいました。それが人生の大きな転機となりました。
被災規模の大きさに圧倒され、私たちはいったん東京に戻りました。考えあぐね、思い切って当時聖路加看護大学の学長でいらした井部俊子先生に協力のご相談を申し上げました。その結果、4月1日に聖路加チームと現地視察をもう一度行い、1週間後にはNPO法人「日本臨床研究支援ユニット」と旧・聖路加看護大学による共同プロジェクト「きぼうときずな」を立ち上げることができました。故・日野原重明先生のご指導のもと、教授会全員一致のお許しがあったからこその速さでした。
こうして始まった「きぼうときずな」は、当時、看護実践開発研究センター長でいらした山田雅子教授のご指導のもと、私の同級生で現聖路加国際大学准教授の八重ゆかりさんが計画進行を担当し、被災者の方々の心と体のケアのため、1年間で延べ1000人以上の看護師・保健師をいわき市、郡山市、相馬市に派遣いたしました。
原発事故があった現地でのボランティア活動に協力いただくことは大変でした。運営資金調達、移動車確保、宿泊手配、放射線に対する正しい理解をいただくなど、どれひとつとして楽だったものはありませんでしたが、関係者の協力や、韓国の俳優ぺ・ヨンジュン氏からNPOに医療支援車3台の寄贈があったこと等に助けられ、プロジェクトはさらに前へ進んでいきました。
8年経った2019年現在も、全住民が避難した富岡町民の健康支援を中心に、「きぼうときずな」は活動を続けています。
「大切なことは大きなことをするのではなくて、現地の皆さんと仲良くなってきずなを作り、それが将来、皆さんのきぼうにつながっていくかどうかです」。これが日野原先生から最初にいただいたお言葉です。
私は44歳で旧・聖路加看護大学に学士編入しました。そこから20年以上経った現在も、私の人生そして「きぼうときずな」の活動は聖路加の教えと共にあります。
Class of 2002。学士編入3回生。参議院議員。「プロジェクトきぼうときずな」チームリーダーを務める。