サリンの長い1日

森川雪絵(もりかわ・ゆきえ)

1995年3月20日に起こった地下鉄サリン事件の日に聖路加国際病院が数多くの被害者の受け入れ先となり、治療に取り組んだことは世に知られることであります。


当時は、聖路加国際病院はすでに新病院となり、旧病院のチャペル部分を残して東西ウィングを取り壊し、大学の新校舎建築を始めたところで、大学の校舎は現在のトイスラーハウス側に建っていた旧校舎でした。あの日は、聖路加看護大学(現・聖路加国際大学)においても長い1日となりました。


看護大学からもありったけの点滴台や膿盆等を運び、日野原先生が記者会見したマイクも準備したと思います。また、看護教員と徒歩や自転車で来校してきた学生は、軽症の方たちが収容されていたトイスラーホールへ応援に行きました。以下は故羽山由美子先生が話してくださったひとコマです。


トイスラーホールでは、ほとんどの方が点滴を受けていたので、点滴が残り少なくなり、不安になった患者さんたちは、「看護師さん」に集まってきます。その頃学生は青いワンピース姿のユニフォームを着用していて、患者さんからするとまさしく「看護師さん」です。

羽山先生ご本人曰く、「白いエプロン着けたおばちゃん」は見向きもされなかったので、たくさんの患者さんに囲まれて涙目になっている学生さんのところへ、「〇〇さん、何かお手伝いしましょうか?」と声をかけたそうです。振り返った学生が「せんせ~い」と言ったとたん、皆の動きが一瞬止まり、まわりの人たちが「ええっ?」。大変だった中でも微笑ましい一瞬があったそうです。「こうしなさい」でなく、「お手伝いしましょうか?」というところが、聖路加らしい。


応援に行った方たちが戻ってきただけで、大学中がその日は「樟脳」のような匂いでいっぱいでした。その時は「サリン」という言葉も知りませんでした。


春休み中だったため、学生に被害がなかったことは不幸中の幸いでした。1時間目に授業があったらと思うと今でもぞっとします。

Profile

元聖路加国際大学教務・学生課職員(1990~2019年)。

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