ミセス・セントジョン

伏木 史子(ふせき・ふみこ)

米軍の接収から病院が返還され、私は5階GB(※)に配属、夜勤明けから日勤に入った朝だった。相模主任が「本日、来日されているミセス・セントジョンが検査のために入院なさいます。土屋さん、受け持ってください。」私の頭の中は、真っ白になった。私の様な劣等生が行う看護で聖路加の看護が評価されたらどうしよう! あいにく日勤の卒業生は、主任と私のみという不運だった。やがて前田先生と事務長がセントジョンを御案内。学生時代、写真で拝見していた威厳のある、恰幅のよい先生が目の前に!「病棟は昔と同じなので、オリエンテーションは不要です。」と前田先生。ホッとした私。


バスをお使いになったあと片付けに伺うと、バスルームには一滴の水も落ちていない。濡れたタオルがなかったら、使用したとは思えぬ程綺麗に後始末がしてあった。さすが!だった。


ミセス・セントジョンの表情はいつもいかめしいので、前田先生に「笑顔がないのですがご不満があるかどうか伺ってください。」と言うと「笑顔なんて私にだって見せませんよ。クレームがなければ合格。ないから大丈夫。気にしない、気にしない。」斯くて(かくて)二泊三日の入院後、セントジョンは無事ご退院。「サンキュー、グッバーイ。」の言葉を残されて。(※1956年の話)

アリス・C・セントジョン(ミセス・セントジョン) アリス・C・セントジョン(ミセス・セントジョン)
Profile

Class of 1955

GB
G(General)は大部屋、Bは個室のこと

(※)
1956年秋、セントジョンは大聖ルカ再興の感謝式に合わせて15年ぶりに来日。10月7日の同窓会では、橋本院長より「聖ルカの母」の名称が贈られている。

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