信仰生活を生きた
檜垣先生、日野原先生との出会い
西山悦子(にしやま・えつこ)
1年生の時、ドイツ語の授業を悪友と抜け出し大目玉を食らった。「貴方たちは聖ルカの品位を落とした!」と、当時教務主任であった檜垣マサ先生は青筋を立て、声を振るわせて叱った。ドイツ語の先生は上智大学の戸川敬一先生であった。在学中は、しょっちゅう遅刻、欠席、演劇部活動だけ参加という学生であった。
20代は、脳外科病棟、消化器内科病棟に勤務した。脳外科ではアセスメント技術などをひと通り身に付け、自分がベテランになった気がした。ところが消化器内科病棟では毎日患者さんが死の1秒前まで苦しみながら亡くなられ、自分の無力さをまざまざと見せつけられた。ある日病院に日野原重明先生が講演にみえた。自分の苦しみを必死に訴えた。日野原先生からターミナルケア訓練(clinical pastoral education)の紹介を受け、勉強を始める。
30代、日野原先生の財団に転職をした。訪問看護の準備のために私は診察室に入り、日野原先生と患者さんとのやりとりを毎週目の当たりにした。「なぜ日野原先生は人を支えるのか」を考え続けた。ある日80代の患者さんが手招きして私を呼びつけ、「日野原先生を理解するには信仰を持たなければだめよ」ときつく言い放った。37歳の時に受洗、日野原先生はたいへん喜んでくださった。
40代、新潟大学に勤務する。日野原先生は快く送り出してくれた。日野原先生、柳井晴夫先生、高木廣文先生らと共に携わった「生活習慣と循環器疾患との関連」の調査研究で、新潟大学から博士号をいただいた。日野原先生は、博士論文作成にあたり、研究資金の調達方法をはじめ、私が抱えている困難な状況について、多くのアドバイスをしてくださった。そして私の教授就任を、こころから喜んでくださった。2011年上智大学から誘いを受け、日野原先生に相談をした。「ボクは大賛成です!」という一言に背中を押され、現在に至る。
上智大学に赴任直後、あのドイツ語の戸川先生のご子息に出会った。40年前のエピソードを話し詫びた。「父は聖ルカで教えることを、本当に楽しみにしておりました」と聞き、心底悔やんだ。
2015年3月、私は上智大学看護学科1回生に卒業証書を手渡した。卒業第1号の学生は聖ルカの同級生の娘さんであった。劣等生の私が……とさまざまな思いが去来した。未熟な私を想い本気で叱り、卒業後も見守ってくださった檜垣先生、求めればいつもその時にできる最大の支援をしてくださった日野原先生にひたすら感謝をした。今度は私が学生に、社会に、「愛」を返す時と感じている。
Class of 1977。
上智大学総合人間科学部看護学科教授。