患者さんに寄り添う心

林田憲明(はやしだ・のりあき)

1975年、大学生活最後の夏、私は聖路加国際病院を見学するために、先輩を頼って初めて訪れました。午後3時頃、当時内科婦長の萩屋恵子(※1)さんが「先生方、お茶の時間ですからキッチンにどうぞ」と誘ってくださいました。キッチンには、今では見かけなくなったスカートの看護服にキャップ、胸ポケットにはハンカチ(※2)、天使のような看護婦さんたちがお行儀よく並び、微笑みながらアイスクリームを楽しんでいました。「ここは天国の病院か?」と私は思いながら、即座に秋の研修医試験を受ける決心をしたのです。

あれから45年、研修医時代から定年まで旧病院で22年間、新病院で18年間、お世話になりました。旧病院の聖路加には、家族的な雰囲気が病院中にあふれていました。3年目から始まる内科当直でも、急変する患者さんの対応には夜勤看護師さんが熱心に手伝ってくれました。こんな毎日ですから当然皆が親しくなり、何組ものカップルが誕生していきました。研修医はアルミのカバーのある縦に綴られたA4大のチャート(※3)に手書きで記録する毎日でした。看護師さんの仕事も患者さんの記録を適切に記載するフォーマットが作られており、能率的に業務がなされていました。1985年、心臓カテーテル機器が導入された際、私たち循環器医が放射線科の技師さん、看護師さんと何度もリハーサルを繰り返したのも懐かしい思い出です。こんなチームワークが病院中にありましたから、1992年の新病院移転の際にも、数か月も前からの準備にも皆が協力的で、無事移転することができました。

新病院での思い出は、やはり1995年の地下鉄サリン事件でしょうか。次々に運び込まれる患者さんを救急部や2階外来廊下に収容しました。看大(聖路加看護大学)の学生さんたちも手伝いに来ました。日野原院長、救急部の石松先生を中心に治療方針が決まりましたが、細かいことは現場で判断せざるを得ませんでした。全職員が自分に与えられた最善の仕事は何かを考えました。その中で看護師さんたちがすべての細かな仕事までも調整して、"扇の要"の役目を果たしたように思います。

新病院では規模が2倍になり、新しい時代に対応すべく全職種が専門性を追求し、細分化されてきています。しかし忘れてならない聖路加の看護の本質は、胸ポケットのハンカチに象徴された”患者さんに寄り添う心“ではないかと感じています。

Profile

医師。聖路加コーポレーション代表取締役。元聖路加国際病院副院長、循環器内科部長。

※1 萩屋恵子
1955年聖路加女子専門学校卒業後、聖路加国際病院入職。内科主任・病棟婦長・看護副婦長・副看護部長等。

※2 胸ポケットにはハンカチ
白衣ユニフォームの右胸元ポケットに装飾的に差し込まれていたレースや刺繍のハンカチ。

※3 チャート
患者診療録(患者ごとに医療および看護の記録がまとめられたファイル)。

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