近江の聖路加

大道重夫(だいどう・しげお)

私は聖路加でのインターンを終えると、京都大学の結核研究所外科に籍を置き、同時に滋賀県近江八幡市にある近江サナトリアム(現:ヴォーリズ記念病院)に入職しました。院長は栗本清次先生、総婦長は北沢幸子さんでした。近江サナトリアムは、近江兄弟社の創立者であるWilliam Merrell Vories (一柳米来留)が日本の結核撲滅を願って建てた結核療養所でした。

当時からこの近辺では、「サナ(=近江サナトリアム)は看護がいい」と評判でした。そのサナの看護の礎を築いたのが北沢幸子さんです。北沢さんは聖路加の看護学校の出身で、一柳満喜子夫人が招聘したと聞きました。1950年から1968年の3月末まで、17年余りにわたって総婦長を務めました。今ではもう当たり前のことになっていますが、北沢さんは早くから、医療の中で看護の果たす役割の大切さを認識し、認識させました。北沢さんが「総婦長」を名乗ったのは伊達ではありません。看護部の人事をはじめマネジメントを独自に行う、自分たちのことは自分たちで決める、という看護部自治の象徴でした。看護婦たちに、プロフェッショナルとしての自覚と誇りを持ち、それにふさわしい質の高い看護、いつも患者さんのそばにいる看護をするように、と説き続けました。それを支えたのが栗本院長(当時は大沼姓)でした。実は栗本先生自身、若き日を聖路加の医員として過ごしていたのです。1923年の関東大震災の時には、かろうじてマットレスだけを持ち出して地面に敷き、患者さんを寝かせた、と苦労話をうかがったことがあります。

その余徳でしょうか、「なんでサナの看護はこんなに評判がいいの?」というので私は、看護のあり方について話をして欲しいと頼まれ、市立八幡病院の看護部や、市立高等看護学院に話に行ったことがありました。

ヴォーリズ記念病院は、日本の結核死亡率が最高を記録した1918年に開設され、昨年(2018年)創立100周年を祝いました。北沢看護は今も後も、ずっと引き継がれていくことでしょう。そう願っています。

Profile

医師。滋賀保健研究センター勤務。聖路加国際病院1957年度インターン。

100のエピソードに戻る