和服の舎監 今野よし子先生

水野幸智代(みずの・さちよ)

1965年(入学当時)に日常生活を和服で過ごす人はほとんどいなかった。そんな時代に聖路加の寮の中には二人の舎監先生(今野よし子先生、白須いさ子先生)がいらして、いつも背筋を伸ばし、キリリとした和服姿が美しかった。今野先生は聖路加の第1期生、聖路加国際病院附属高等看護婦学校Classo1923の大先輩だった。当時の年齢を換算してみると70代だったのでは?私の心の中では「明治生まれの別格お婆ちゃん」だった。

聖路加の看護教育は、キリスト教精神と24時間の寮生活を基盤になされていたので、寮は重要な教育の一環であった。礼拝への参加、規律ある生活、整理整頓を求められた。その励行を実践する今野先生はとにかく厳しかった。毎朝のAM care(7~9時)に合わせて、朝礼拝(6:45~7:00)を休んで病棟へ直行すれば起床(5:45)から1時間長く寝られる。そう考えていたのは私だけではなかった。礼拝に出席が少ないと、必ず廻ってきて、部屋をトントン。欠席者は誰、どこの部屋。これが瞬時に判断、頭の中にインプットされているのだからスゴイ!私も起こされた。

毎週の「インスペクション」後の注意、早すぎる門限(19:00)等々、学生内には厳しい規則に反発する意見もあり寮の廃止運動もあったようだ。4年次に通学も許可された。残留組が半数だったことを思うと、反発を感じていたのは半分だったのだろうか?

有志のみの夕礼拝(19:00)は5~6人出席すればいいところ。2階のホールでお二人の先生が交代で担当してくださった。聖歌を歌い、聖書を読み、先生のお言葉があり、聖歌を歌って終了、短い礼拝だった。私は出たり出なかったり、全体から見れば出席する方だった。今野先生のお言葉は毎回同じ内容で、4年間一律と私には思えた。「良い場所に撒かれた種。あなた方は看護のリーダーになることが使命です。看護のリーダーとして育てられています。しっかり勉強して看護界のリーダーになってください」と言われ続けた。そうか、リーダー、看護のリーダーね、劣等生の私には不釣り合い、関係ないな~、今日も同じだ、と思いながら聞き流す夕礼拝だった。

しかしいつの間にか頭にインプットされていたのかもしれない。クラスの多くは聖ルカ病院に就職を決めた。私は「撒かれる種はどこでも良いのだ」と思い、卒業後は地元に帰って臨床経験を積んだ。今野先生の影響は大きかった。1期生の凛として秘めた熱い情熱は、今も心に深く刻まれている。

キャッピング後に今野よし子先生(右端)と (隣が筆者 1996年2月) キャッピング後に今野よし子先生(右端)と (隣が筆者 1996年2月)
Profile

Class of 1969。旧姓は加藤。

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