4歳の夢
高木 とも子(たかぎ・ともこ)
私が看護師を目指し始めたのは4歳の時、弟の誕生がきっかけでした。在胎26週、986グラムで誕生し、生命の危機を何度も乗り越えた弟は、今では立派な社会人となっています。「大きくなったらいのちを救う仕事がしたい」と考えるようになった私は、幼い頃から生命や救急医療の番組を録画し、本を読み…聖路加国際病院で働くことを目標に、興味を持って学びました。
そして、聖路加看護大学入学。小児科の看護師を目指す私に転機が訪れたのは大学3年、母性看護の実習中のことでした。陣痛に耐える産婦さんへ柔らかな表情で声をかけ、痛みや不安に手をあてて寄り添い、的確な判断とリーダーシップで安全な出産ができるよう導く助産師の働き—生まれて初めて「助産師」という職業に出会ったのです。その姿に引き込まれ、"これだ"と感じた私は、大学4年で助産課程を専攻し、聖路加国際病院で助産師として働くことになりました。
充実した7年間の経験を経て涙の退職後—JICA海外協力隊の助産師として派遣されたのは、東南アジアのラオスでした。「周りから援助を受けるだけではなく、ラオス人自らが問題意識を持って取り組まなければ解決に向かわない」ということを強く感じると同時に、「私は日本人として母国の課題に対して何ができるだろう」と考えさせられる日々。ラオスは医療や教育のレベルは隣国より低く、経済的にも貧困の国ですが、人々の心は豊かでした。いつも笑顔で家族を大切にするお国柄に、私は何度も助けられました。もしかすると、日本の子どもたちや家族が抱える課題の方が深刻で、手を必要としているのではないかとの思いから、帰国後は養護教諭として働くことにしました。しかし、教育の世界に踏み出したことで、「私は助産師」というアイデンテイティの根強さに気づかされ、退職から5年後の春、再び産科新生児科病棟に復帰させていただくこととなったのです。
女性が母親となり、夫婦が家族となる第一歩をお手伝いする毎日。尊敬する上司、先輩・後輩、同期と共に、日々新しいいのちの誕生に関わる仕事はとても尊く、やりがいを感じています。
4歳の私が思い描いた未来が、今ここにあります。幼い頃の夢がこれまで一度もぶれなかったのは、自分のことながら不思議です。聖路加は、私が私らしく、生き生きと過ごせる場所。最高の環境で学び、トップレベルの看護に携わっていることは、これからも私の軸となって生き続けます。
Class of 2007。助産師。聖路加国際病院産科新生児科・3EW病棟勤務