「ここが安心だから」に応えたい

大川 恵(おおかわ・めぐみ)

「やっぱりここが安心なんです。ここで娘も診てもらいたいんです」


春の陽光が暖かい遺伝診療部で、私はひとりの女性と面談していた。母と祖母を乳がんで亡くし、自身も2度乳がんに罹患した遺伝性腫瘍の患者だ。女性には二人の娘がおり、私たちはよく娘の話をした。テニス部に入って真っ黒とか、おてんばで大変とか、眩しいくらい「健やか」が溢れていた。しかし面談の終わりになると女性は必ず、「娘がいつがんになるかと思うと、いてもたってもいられない」と、うつむいた。


遺伝性腫瘍と共に生きるということは、自分や血縁者のがんのなりやすさを意識しながら生活するということである。女性はこの先も心から気持ちが休まる日はないかもしれない。私は、この終わりのない不安に対して何かできることはないだろうかと悩んだ。主治医や関連診療科の部長、自分の上司に状況を伝え、「ここが安心」と言ってくれるなら聖路加でLi-Fraumeni<*ルビ=「リ・フラウメニ」>症候群(LFS)のサーベイランスをできるようにしませんか、と訴えた。


遺伝性腫瘍の検査には多くの診療科と職種によるチームが必要である。特に女性の場合はさまざまな臓器に発がんのリスクがあり不確定な部分も多い。私の意見に理解を示してくれた遺伝診療部部長と私の上司から、複数の診療科の部長や看護管理者にメールが送信された。「LFSのサーベイランスに力を貸して欲しい」。


1か月後、最初のミーティングが開催された。LFSの可能性がある子、未確立なサーベイランス、重複がんの母……当院でやれるのか。話し合いの度に1歩進んで2歩後退するような状況が続いた。その間も、小児科の看護師はLFSについて勉強し、ゼロから説明資料を作っていた。私は女性と面談を続け、体制を整えるのに時間がかかっていることをお詫びしたが、その度に「ここが安心だから」と笑ってくれた。


初夏を感じる眩しい小児科の待合で、私は女性と彼女の娘と一緒に診察を待っていた。待ち時間は、娘がテニス部の部長になるという話で盛り上がった。診察室に呼ばれ、医師が「お母さんと一緒だったよ」と遺伝子検査の結果用紙を見せると、娘は「本当だ」と笑った。そこにいた誰もがその笑顔に救われた。


聖路加国際病院の一人ひとりが生きた有機体の一部であり、その動力は「患者を思う気持ち」である。その思いは目に見えないけれど感じ取ることはできる。私たちが思いを持ち続ければ有機体はいつまでも生き続け、多くの人の「ここが安心」になり続けることができる。

Profile

2016年博士前期課程修了。聖路加国際病院看護師。遺伝看護専門看護師。

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