先陣を切る
菱沼 典子(ひしぬま・みちこ)
1920年、Dr.Teusler(※)がMrs. St. John(※)と始めた聖路加の看護教育は、予防から看病、公衆衛生、看護管理、看護教育まで、今日の看護学を包含した教育内容であり、かつ企業内教育から脱却した、志の高い教育でした。日本の看護にdignity(尊厳)をもたらし、看護を高等教育機関において教育すべきものにしたのは、この二人であり、その後に続いた聖路加の先人たちです。
看護の標準を向上させることによって、医療と予防の質を上げようと、日本全体の健康状態を視野に入れた創立者の建学の精神は、これからの100年も変わらず、聖路加の行く手を導くことでしょう。
私が学生として受けた聖路加の大学教育は、しかしながら、星を仰いで登校し、月を見て帰る日々であり、卒業式の前日まで深夜実習をし、指折り数えて足りるほどの少数の教員のもと、大学なのか養成所なのか疑問を抱くものでした。それでも聖路加を出て他所で働いた時、新人のできなさはさておき、看護で困ることはありませんでした。考えること、できることとできないことを見分けること、勉強すること、看護の独自性を追求することは、学べていたのだと思います。
その後、教員だった約40年間、聖路加はじっとしている時がありませんでした。常に新しい挑戦をし、私学の良さを発揮して看護学教育界の先陣を切って、冒険をしていました。人々の健康のために看護の新しいアイディアを考える土壌ができていて、それが当たり前になっているからだと思います。逆を言えば、看護の質向上のために先陣を切る新しさがなくなれば、聖路加の存在意義は失われるでしょう。
“目的地と海図を見失った難破船で、ストレスに抗している仁王さん”これが病者です。この難破船の仁王さんに、休める瞬間を作る気持ちいいケアを通して、「息をして、食べて、出して、寝る」をできるようにすると、その先に、目的地と海図を自らの手で取り戻し始める姿が現れてきます。ゆえに看護は、他者の成長や自己実現を歓びとするケアの一分野と考えられます。関心をもって思いやる愛の精神を土台に、健康上の理由でできなくなった、あるいは変更しなければならない日常の営みを、その人らしくやっていけるようになることが看護のゴールと、今言葉にできるのは、聖路加からの賜物と思っています。
Class of 1974。三重県立看護大学理事長・学長。1976~2017年本学勤務。1997~2003年および2009~2015年看護学部長兼看護学研究科長。
トイスラー(Rudolf Boling Teusler)
ルドルフ・B・トイスラー(1876~1934)。米国ジョージア州生まれ。1900年、米国聖公会の宣教医師として来日し1901年、聖路加国際病院を開設。日本の医学の水準は十分でありながら、患者が回復できないのは看護が不十分だからであるとし、日本全体の看護の質向上を目指して1920年、聖路加国際病院附属高等看護婦学校を設立。
Alce C. St. John
アリス・C・セントジョン(1880~1975)。カナダ生まれ。聖路加国際病院附属高等看護婦学校開設以来、20余年にわたり教育責任者を務め『聖路加ナースの母』と呼ばれる。Mrs. St. John(ミセス・セントジョン)とも。